雷鳴にも似た喧噪の中、それは沈黙を貫いていた。
煌びやかな情景を前にして尚、それは色彩を持とうとしなかった。
しかし、砂の器は静かに、そして確実に、その刻を削り始める。
在るべきところに辿り着くために。
遥カナル世界ガ穿タレル。
生きるか死ぬかの刹那でさえ、それは価値を見い出せなかった。
囚われの部屋でかじかんだ手を見つめ、我願う、我乞う、我祈る。
縛られし魂が解き放たれん事を。
愛の言葉を囁いた。
さよならしようか ― 純白たる世界に。
さよならしようか ― 夢過ぎ去りし日々へ。
やがて時は満ちる。
やがて生きる意味を問いかける。
星が瞬く虚空の向こう、溢れ出る月の涙は意味を失い。
そして草木と眠りて再会の時を待つ。
木漏れ日の差すあの丘で。
ちんちんの話です。
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コメント
コメント一覧 (2件)
たしか後の永山基準になった事件ですか。
現代においてなお懐疑的な意見もある基準ですが。
生まれや育ちが起因して重犯罪にはしったのではなどの報道をみるたび思うのですが、私も貧困家庭に生まれ育ち、遺伝の病気で10代後半で内臓の一部の機能を失い、22で耳が聞こえなくなりましたが世を恨んでなにか起こすわけでもなくこのようにどこの誰でもない小市民として生きてるのに。
病に苦しみ悩むこともない人間が世を恨んで重犯罪を犯すのをみると、健康で自分しだいでどうとでもなる楽な人生送ってるのになにが不満なんだかと感じてしまいますね。
わたしのきょうだいも重犯罪を過去におかしていますから貧困が無関係とはいいませんが。
貴重なお話、ありがとうございます。
健康であることがどれほど有難い事なのか…いや本当に考えさせられますね。