「「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」」を疑え

たまゆら

本日猛毒につき

「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」が大事。

肯定するのもカッコ悪い気がするが、現実的には真理であろう。

信頼に値する人間の言葉を重視するのは決して悪い事ではない、というか当たり前だ。

「こいついつもテキトーな事言ってんなぁ」という人間の言葉は疑ってかかるし、権威や実績や信頼がある人間の言葉はしっかりと胸に響くし、その判断基準は限りなく正解に近い。

だが、ネット上の数値を指標にして、例えば「Twitterのフォロワー数が多いからこの人の言う事は間違いない」「このツイートはいいねが多いから真実だ」「チャンネル登録者数が多いからこのYouTuberは尊敬出来る凄い人だ」こういった思考を(無意識にでも)しているのであれば考えを改める事を勧める。

実際にリアルで深く接していて人となりが分かっている上での信頼ならまだしも、嘘か本当かも分からないネット上の人間の言う事を信じてしまうのはあまりにも危険すぎる。

そして恐ろしい事に、そうやって根拠もなくネット上の人間を盲信してしまうタイプの人が多くいる。

ネットが身近になりすぎている弊害だ。

リアルとネットは別物だという認識が薄れてしまっている。

たまゆらさんが実家暮らしの無職の童貞の包茎の可能性だって十分にあるのに。いや包茎は間違いないが。

フォロワー数が多い人やいいねが多い人はしたたかな傾向にある。

自己演出、ブランディング、自分がどう見られているか、どう表現すればウケるかをしっかり研究してキャラクターを作っている。

そしてフォロワーが増えていき、フォロワーが増えれば脳死でフォローする人が増える。

なんならフォロワーなんてお金でも買える。

もちろんそれらの努力を否定するつもりは全く無いが、そんな虚構のフォロワー数に権威を感じてしまうフォロワー側は思慮が浅いとしか言えない。

最近、「もう少し自分で考えて生きたら?」と思ってしまう人を沢山見かける。

馬鹿にしているわけではなくこれはエールだ。

完全に情報過多のネット社会の被害者。

自分の人生は自分のものなのだから、自分の意志を大切に生きていけたら良いですね。お互い。

くっだらねぇ

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